この状況では原発反対の流れも当然強くなりますよね。
ただ、なんでもかんでもヒステリックに反原発を唱えるのには
ちょっと抵抗があります。
気をつけなければいけないだろうな、と思うことは・・・
1)代替エネルギーとそれぞれのメリット・デメリットを
きちんと検討できる冷静さを持たないといけない。
2)科学技術は採算ベースに乗ってこそ普及するもの。
3)原発廃炉にも技術開発がいること
ちょっと気になった記事がこれです。
もしある家庭で、コドモが大学に進学して「原子力を専攻する」と言ったら
どうなるんでしょうか?やっぱり
「そんなもの認めない!やめなさい!」
ってなるんでしょうか?
それもそれでちょっとまずいと思うのです。
もし仮に、原発全廃の日が来るとしましょう。
でもそれはたぶん、今年とか来年とかではないでしょう。
また、その日から廃炉や廃棄物処理には
ものすごい年月と技術を必要とするはずです。
その日に、「原子力のエキスパート」がほとんどいなかったら?
私はそれこそ怖いと思います。
誰も知らないから誰も管理できないって。
だから、これから先「専門は原子力」って言うだけで
白い目を向けるのはやめた方がいいと思うのです。
「原発最後の一日」まで「専門家」は必要なのです。
やっかいなものをどうにかしてくれてる人に
こう言う状態もどうかと思いますよ。↓
>チェルノブイリ事故直前に大学を卒業した同氏は、周囲の人々に原子力専攻と知られたくないため、歴史専攻と言っていたほどだった。
そういう私はかつて、動物実験をするのが仕事でした。
自分の職業を聞かれて答えると、かなりの確率で
「かわいそう・・・・」
と非難の視線を浴びるのですよ。
それぐらいで済めばいいですが、ただの飲み会で
あやうくケンカになりそうになったこともあります。
じゃあ、あなたの大切な人が大変な病になったとき
どうやって薬を開発すればいいんだ、アナタが実験台になれるの?
誰かが手を汚さなかったらどうするの?てな具合に。
一度、動物愛護団体を名乗る人に
「私らだって好き好んで動物殺してるわけじゃない。
代替方法があるならそっちの方がいいに決まってる。
反対するのはいいけど、それなら代替方法の開発に協力してほしい」
というメールを出したら、返事が返ってきませんでした。
「原子力のエキスパート」の人たちも今後、そういうことになると思われます。
でも、原子力界を信じてはいたいです。
良心をもっていてくれている人がたくさんいると。
かといって、原子力を専攻しはじめた若いひとたちが
「この業界ウマーw」
などとなってしまってもまずいですねえ。
むずかしいですね。
どうしたらいいんでしょう?
ブルーバックスが、原発事故への不安を取り除くための活動として
本の一部を無料公開しています。
ネット上での断片的な知識のかき集めじゃなくて、まとめて読めるのがほしかったんですよね。
まだ読んでいないのですが、これはありがたい!
『日本の原子力施設全データ』(北村行孝・三島勇著 講談社ブルーバックス2001年刊)一部公開のお知らせ
Natureの地域別サイト、アジア・パシフィックが
震災に関する記事の日本語訳を無料公開しています。
アカウントつくらなくても見られるのかな??
とりあえず無料みたいです。
以下、会員向けメールより。
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NPGネイチャー アジア・パシフィックはこのたび、
いま、原発をめぐってみんなが情報をかきあつめ、
あるいは発信して、普段では絶対あり得ないぐらい量の
科学に関する情報が飛び交っていますね。
この中でなにができることはないか考えていたのですが、
私の専門分野や仕事内容からいって、私が貢献できるのは
どう考えてもこの問題がおさまったあとの話だという結論になります。
なので、お役立ち情報は発信できません。
たとえ下っ端とはいえ、一応学術でお給料をもらっている身です。
不確定な情報を適当に流すことはしたくないです。
何か言うならこの混乱が収まってから、と考えていたのですが、まだまだ続きそうです。
なので、いろんな人が必死にいろいろ考えている今から、
思うところを書いてみようかと思いました。
(まあ、たぶんすでにいろんな人が似たようなことを感じてるでしょうけど)
ほんとはこのブログを言論の場とかにはしたくないんですけど
ひとまずどこかにメモっておきたいと思いました。
地震から数日間、ニコニコ生放送を通じてNHKをずっと見ていました。
で、あれにはコメントがつくのでそれも一緒に見ました。
周りに日本人がいないので、日本のリアルな空気を読む手段はネットぐらいに限られています。
あのコメント群は、あれを見ていた人が何を考えていたのかを知るいいツールでした。
爆発映像で戦慄が走ったあと、誰もがみんな放射線に関する用語とか
放射線量の単位とかをすごい勢いで勉強し始めているのがわかりました。
そしてあるとき、ニコニコの画面に
「日本人ヒロシマナガサキのくせに原子力知らんって海外で笑われてる」
「たしかに全然勉強してなかった」
「反省だな」
なといったコメントがちょこちょこ入るようになりました。
私も同感です。
原子力(物理)でいう「反応」は化学でいう「反応」とはだいぶ意味が違うので
ほぼ素人です。「臨界」という用語も化学でのそれとは別なので
ウィキに書いてある程度のぼやぼやとしかことしかわかりません。
3年ほど前、学会発表のためにアメリカに出張しました。
発表後の懇親ディナー会で、とある海外の教授と話していたとき、
「Nuclearの技術はもっと活用すべきだと思うよ。
日本人はnuclearって聞いただけでアレルギー起こしすぎじゃないか?」
と言われました。
(化学分野でも放射線を利用する話はそれなりにあります)
一瞬、「小さい頃から原爆の怖さを聞かされて育った我々が
そんな簡単にはいそうですか、便利ですねー、なんて言う訳ないじゃんか!」
と言いそうになったのですが、結局反論できませんでした。
もちろん原爆を肯定するなど未来永劫ありません。
でも、原子力の何がいけなくて、なにが便利なのか、
そういえばひとつも理解していないから議論にもならないな、とも思いました。
否定するにも、まず知らなければ反論もできません。
その後忙しさにかまけて何も勉強しないでいたらこの騒ぎです。
この騒ぎの決定的な責任者たちには怒り心頭ではありますが、
私たちにももう少しやれることがあったんじゃないかとも思います。
ヒロシマ・ナガサキという巨大実験(!)の舞台となった国に育っていながら、
それで得られたはずの知識を市民レベルでぜんぜん蓄積していなかったのです。
実際、結果としてこれです。
あと、ネット上で
「原爆とチェルノブイリの危険ってどうちがうの?」
みたいなのも見かけましたが
・・・・たしかにササッと答えられない・・・
前田スクワットやるためだけに広島市民球場行ったときも、心の片隅で
「いくら何十年も経ってるとはいえ放射性物質の塊落とされたすぐ近くで
野球見てるってどういうことなんだかなあ?」
・・・って思ってましたが、結局わかってないまま。
ふとした疑問を簡単に放っておくのもまずいもんだなあ、と思います。
原爆の語り部の方たちは、その恐怖をずっと語り継いできました。
でも、その体験がある方たちもご高齢です。
恐怖を語り継ぐにも限界があります。
原爆の語り部の方々がヒロシマ・ナガサキ世代だとしたら、
今この状況をリアルで体験している我々は「フクシマ世代」となるでしょう。
(いやオマエ海外にいるだろ、というつっこみはひとまず置いておいていただけると)
フクシマ世代ができることはたぶん、恐怖体験に加えて
「原子力・核の科学的知識をきちんと語る」ことなんじゃないかと思います。
私もちゃんとこれを機に知っておきたいと思います。
管理区域立ち入り講習ももう居眠りしません。
(アメリカではパソ講習方式なんでそもそも居眠りできませんでしたが・・・)
日本は、原爆+世界最悪(っぽい)の原発事故を知っているという
「核体験ぶっちぎり先進国」になります。
これを乗り切れたら、日本人としてのプライドを再形成するのに、
ただ感情で核を「キライ!怖い!反対!」と言うのではなく
市民レベルできちんと理由が説明できるようになる、
という目標が描けるんじゃないかと思っています。
日本人は誰に聞いてもシーベルトという単位を余裕で知ってる、
みたいな感じで。
それが、原爆の語り部の方々の積み重ねの上にもう一段階積みあげられる
「フクシマ世代」としてのやり方じゃないでしょうか。
「三日坊主にならぬことを祈るばかり。」
・・・なってますね、すっかり。
いろいろ思うところあって、長らく放置中だったこのブログに
テコ入れしてみることにしました。
震災発生当初から、
「専門でもないことで中途半端な知識を垂れ流すもんじゃない」
との考えのもと、いろいろ言いたいところをグッとこらえてきました。
言うんだったら復興モードに入ってからにしようと。
震災の緊張がまだまだ続く昨今ですが、
原発処理がどうやら長期化しそうとのニュースを受けて
ちょっと気が変わってきました。
私が言える範囲のことを少しずつ綴ってみようという気になってきたので
休眠ココログに起きてもらいました。
(いや、気になっただけで3日坊主になるかもしれないけど・・・)
でも超ひさしぶりにブログ設定いじったらもうつかれたです。
今日のところはここまで。
前々から解きたかった誤解のひとつ。
研究室という場所で、助手が教授を
「はかせ!」
と呼ぶことはありません!!
なぜならたいがい、助手も教授もはかせだから!
この、研究室に対するイメージってコントとかがもとになってますよね。
例を挙げると・・・・
・フラスコになにやらわけのわからない液体が入っていて
煙がもくもく出ている。
→これは時として事実なときもあるけど、
だいたい失敗を示す状態。
・ビン底メガネ
→メガネの形状はたぶん世間一般と同じかと・・・・
(私は視力1.5なのでレンズいらずです)
・白衣
→白衣は分野によっては確かに必須。でもほとんど着なくて済む人も多い。
(これについては後ほど特集)
・「教授!」
→・・・とは呼びません!ここが唯一「動物のお医者さん」のケチのつけどころ。
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動物のお医者さん (第1巻) 著者:佐々木 倫子 |
呼ぶとしたら「先生」になるんですけど、
これも「学校」で「教える」人へ使う敬称でして、
「博士」であっても「先生」ではない研究者は普通にたくさんいるのです。
会社とか学校ではない研究所とかね。
そういうときは、ごく普通に「○○さん」です。
「研究、とかいってもよくわかんない。
結局いつもなにやってんの??」
友達に何度となく言われた台詞です。
うーん。
むずかしいねー。
いや、むずかしくない。ほんとはね。
結構たのしいもんなんですよ。
たのしくなかったらわざわざやってないさ。
・・・・なら、ちょっとずつ紹介していこうではないですか。
という企画です。
三日坊主にならぬことを祈るばかり。
まあ、よかったら理科ライフの旅でもどうです?
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